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		 蜻蛉(とんぼ) 
		
		先日、角館の友人に会いに行ったのですが、少し時間があったので、ブナ林や、高原をドライブしてもらいました。 
		高原では5~6種類のトンボが群れ飛んでいました。 
		久しぶりにトンボの群れに出合い、子どもの頃は、夏になると毎日のようにトンボを追っかけて遊んだことを思い出しました。 
		簡単に捕れそうで、なかなか捕まえることはできなかったトンボ。 なかでも、ガキ大将が捕まえるギンヤンマやオニヤンマはあこがれでした。 
		秋が近づくと、数えきれないほどの赤トンボが群れをなし、羽根を夕陽に輝かせていた風景は目に焼き付いています。 
		近くの山が夕陽のシルエットになり、それをバックにトンボの羽根がチカチカと銀色に輝いているという、 
		里山の懐かしい風景は日本からどんどん消えています。
  
		古くはトンボは、秋津(アキツ・アキヅ)と呼ばれました。 
		そして、『日本書紀』には、神武天皇が国を巡行したとき、丘の上から領地をを見て、 
		「なんと良い国を得たことか、狭い国ではあるが、まるで蜻蛉がとなめ(交尾した蜻蛉が輪になって飛ぶ姿)しているように、 
		山々が連なっているようだ」と言ったことから、日本の本州を指す、秋津州(あきづしま)という号が生まれたとも言われます。 
		(「となめ」は訳さない方が趣があるのですが…。)
  
		それよりも早く弥生時代の銅鐸に、すでにトンボが刻まれています。 
		トンボがイナゴのような稲を食べる害虫を捕るところから、その文様を銅鐸に入れたのでしょう。
  
		後にトンボは「勝虫」と呼ばれ、縁起の良い虫とされました。 
		トンボは俊敏で前にしか進まず、目玉が大きく、眼光鋭く、しかも害虫を補食する虫です。 
		そんなことから武士に好まれ、武具の文様に多く使われるようになります。 
		攻撃的で勇敢に前進する武士の姿をトンボにかさねて「勝ち虫」と呼び、その文様が兜や刀の鍔など、武具や工芸品に使われました。 
		そして武具に使う革にも多く染められています。この技法は、今でも山梨県に伝わる「印伝」という革染めの文様に残っています。
		 
		  
		勝ち虫 
		
		こうして武士に好まれたトンボ文様は、やがて、町衆の着物文様に広がり、 
		当時盛んに行われるようになった、小紋染めの文様に移っていきました。 
		トンボ文様は強いイメージだけでなく、ある種のかわいらしさもあり、庶民的な文様として大変普及し、 
		現代でも通用する人気の文様として残っています。
		 
		  
		絣に見られるトンボ文様 
		  
		勝ち虫 
		  
		蜻蛉(とんぼ) 
		
		(図版は『日本の文様 染めの型紙』クレオ刊、『DVD付江戸文様素材集697』新人物往来社刊)
		 
		22 August 2012 
		*このページに掲載されたコンテンツは熊谷博人に帰属します 
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