| 
		 
		七夕に横浜や東京で星空が見えるのは10年のうち1回か2回しかないそうです。 案の定、今年の7月7日も降ったりやんだりの雨。 
		幸い土砂降りではなかったので、夏きもので 神奈川県民ホールのギャラリーで行われている「和更紗展」を見に行きました。
		 
		  
		
		出展されている和更紗すべてを所蔵するブックデザイナー熊谷博人氏の ギャラリートークが行われるため、生憎の天気にもかかわらず 
		入り口付近には大勢の人が熊谷氏の登場を待っていました。 
		なかには、更紗のチュニックを着た女性もいて、力の入り具合が伝わってきます。
		 
		       
		
		いよいよ熊谷氏が登場してレクチャーの始まりです。 
		まずは受付前に飾られたインドで作られた更紗を前に 「更紗とは、どんな布か」というところからお話が始まりました。
		 
		  
		
		更紗は基本的に綿布であること、おおもとのインドでは木版で染めていたこと、 それがオランダの東インド会社を介して
		日本に輸入されたのが桃山時代から江戸時代であること、 
		当時の権力者や富裕層が競って、この美しい布を求めたことなどなど。 
		やがて、国内でも輸入品の更紗を模倣したものが作られるようになり 
		日本独自の発展を遂げていったことなど、和更紗の概要を拝聴してから地下の展示室へと場所を移動しました。
  
		インド更紗と和更紗の赤は違うのだそうで、日本では鮮やかな赤が出せなかったそうです。 
		また日本ではそれ以前からあった伊勢型紙を使って更紗も染めるようになったこともあり、 日本独自の模様も従前の更紗模様に加わっていったとか。
  
		“更紗は洗えない”というお話には、ちょっとびっくりでしたが、 
		型紙を置いてじかに顔料を摺り込んでいく日本独自の製法では、洗うと顔料が落ちていってしまうのだそうです。 
		だから浮世絵に見られる更紗のきものは間着(あいぎ)として、 上にもう一枚きものを重ねて大事に着られていたのですね。
  
		展示されていた中に和更紗の肩衣(かたぎぬ、裃の上だけ)がありました。 
		これが遠くからだと地味なモノトーンに見えたのですが、近づいてみてびっくり。 
		細かな模様の合間をきれいな黄緑が埋めているのです。その細かさ、美しさはいつまで見ても飽きないほど。 
		しかも黄緑という色がしっかり残っているのが不思議でした。こういう色はいち早く褪せていってしまうものです。 
		さらによくよく見ると、黄緑のところどころにかすかに金彩が残っています。 
		これは、黄緑は金彩の下地だったということではないかと、会場にいらした若い更紗の作家さんに聞いてみました。 
		作家さんがおっしゃるには金彩を置く場合、まずにかわを敷いてその上に金彩を施し定着させるのだそうです。 
		黄緑の上ににかわを敷いたおかげで金彩は落ちても下の黄緑は褪色をまぬがれたのではないかということでした。 
		そして彼は黄緑の部分とそのほかの部分を触ってみて 「やっぱり緑の部分は硬いから、きっとそうです」とおっしゃいます。 
		私たちも触ってみました。確かにかすかに硬いのです。 
		う~ん、日本人のやることってすごい。 
		しかしもっとすごいのは、遠くから見たら地味なモノトーンだったこの裃が 
		実はできた当時は金色に光っていたということかもしれませんね。 
		いったいどんな人が身に着けていたのでしょうか。
  
		綿布というと丈夫なものをイメージしますが、展示されていた中には 
		ふわふわのガーゼのような生地に更紗模様が施してあるものが結構ありました。 
		更紗には糊を使わないのだそうですから、そんなやわやわな生地に型紙を置いて、 
		刷毛で顔料を摺り込むなんて、いったいどうやったのだろうと思います。 
		職人の技のものすごさは、私のような凡人の想像をはるかに超えているようです。
  
		展示の最後に現代の江戸更紗の工程を表す染物がありました。
		 
		  
		
		なんと、38回も版を重ねるのだそうです。 
		ちょっと見には一色に見える色も4回くらいは重ねて奥行きを出すのだと 
		新宿の染物の会社「双葉苑」の四代目さんが教えてくださいました。日本の職人すごいです。 
		「工場に見学にいらしてくださいね」とおっしゃる四代目さんは、 写真のこのサイトへの掲載も快く承諾してくださいました。
  
		 
		  
		
		最後に熊谷さんと記念撮影。楽しい展覧会とレクチャーをありがとうございました。 
		「歩いて帰ろうよ」のひとことで3人して小雨の中、ぶらぶらと県民ホールを後にしました。
		 
		文・写真/八谷浩美 
		07 July 2012 
		
 |